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「何とか助けたい一心だった」日航ジャンボ機

交信管制官が初証言―日航ジャンボ機墜落25年

520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、墜落した羽田発大阪行き日本航空123便と直接交信していた男性管制官(54)が9日までに、時事通信の取材に応じ「何とか無事に空港に着陸させ助けたい一心だった」と当時の心境を語った。12日で事故から四半世紀となるが、報道機関のインタビューに応じるのは初めて。

男性管制官は、管制官になって8年目で運輸省(現国土交通省)東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)に所属していた。事故当日の8月12日は、午後5時から「関東南Aセクター」と呼ばれる空域を4人で担当。午後6時すぎから、男性管制官がマイクを付けレーダー画面の前に座った。

午後6時25分、123便の機長=当時(49)=から「トラブルが起き羽田空港に引き返したい」との連絡が入る。2分後、緊急事態を示す「EMG」の文字がレーダー画面に表示され、大きなブザー音が鳴り続けた。

「どういう緊急事態なのか尋ねたが、返答はなかった。羽田の方向に旋回せず、高度も上下していた。そのうち『操縦不能』と。ただごとではないと判断した」

123便はスピードを保って乱高下を繰り返し、どこに飛んでいくかも分からない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100810-00000010-jij-soci


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